瀬戸物の語源となった陶磁器の町、愛知県瀬戸市の中心部を訪ねました。
名鉄尾張瀬戸駅を出たら、瀬戸川を渡り、瀬戸蔵に向かいます。瀬戸蔵は瀬戸市が運営する「産業観光」「市民交流」のための施設で、中に陶磁器を販売するお店や、瀬戸蔵ミュージアムがあります。

瀬戸蔵ミュージアムの入り口を入ると、まず迎えてくれるのはレトロな瀬戸電。当時の尾張瀬戸駅も再現されています。

瀬戸蔵ミュージアムの中には、瀬戸物づくりの工房の様子や、瀬戸の窯業の歴史などが展示されています。

瀬戸蔵ミュージアムから近いところにある瀬戸市新世紀工芸館。こちらはモダンアートの展示スペースで、入場は無料です。展示内容は随時変わります。

瀬戸市新世紀工芸館の近くにある Art Space & Cafe Barrack。カフェとギャラリーを兼ねています。ランチはお手軽値段ですが、おいしいです。

次に訪ねたのは招き猫ミュージアム。レトロな建物に赤い大きな招き猫が目印です。残念ながら中は撮影禁止です。かわいい招き猫でいっぱいでしたが、個人的には招き猫に興味がないので…

招き猫ミュージアムの近くにあるのが末広町商店街。ここもレトロ感あふれる商店街です。他の古い商店街同様、かなりシャッターが下りています。

末広町商店街を抜けて東のほうに静かな道を歩いていくと、窯垣の小径に至ります。窯垣は、使わなくなった窯の道具を使って作る壁などの総称で、昔はこの小道を通って陶磁器が運ばれていたそうです。

両側の壁が不要になった陶器などで作られています。この辺りは小道が入り組んでいて、うっかりすると私道に入り込んでしまいます。

窯垣の小径が終わるあたりにある丘陵地帯が洞窯跡の杜。かつてはこの辺りに登り窯が3基あったそうです。下の写真、手前が登り窯の一番下の部分。上に向かって段々が作られていたことがわかります。

窯跡の杜から下の車道は通称洞街道。ここに、瀬戸市の指定有形民俗文化財になっている登り窯、洞本業窯があります。その隣には窯横カフェというカフェがあり、お茶でもしようかと思ったら「完全予約制」と書かれていました。ランチのみの営業なのでしょうか。

こちらが洞本業窯。企業が持っている私有地なので、見学には注意が必要です。奥の方は立ち入り禁止です。

続いて宝泉寺に向かいます。宝泉寺には珍しいなまこ塀の山門があります。

宝泉寺で有名なのは陶製の十六羅漢像。本堂の奥にあります。上がり込んで拝観しました。また、寺の入り口付近には陶彫の祖と呼ばれる渡辺幸平の墓があります。この陶彫がのちの瀬戸のノベルティグッズの礎となったとか。

続いて向かったのは瀬戸川を渡った対岸の丘陵にある陶祖公園。ここには陶祖加藤四郎左衛門景正(通称 藤四郎)を記念する陶器でできた陶祖碑があります。これは最近のものではなく、慶応年間の1867年に作られた陶製の碑で、この種のものとしては日本最大級とか。周囲には漢文を現代語訳した解説板があります。また陶祖碑に関する興味深い解説をご覧ください。

陶祖碑のある公園から斜面をおり、西に向かうと陶彦神社。ここにも陶祖 藤四郎が祀られています。

稲荷社を挟んた西側にあるのが深川神社。奈良時代771年の創建です。本殿の彫刻は文化・文政年間に諏訪の名工・立川和四郎が手がけたものだとか。

深川神社前の商店街は、昔ながらの門前町の風情です。

深川神社近くの法雲寺には、陶製の梵鐘が保存されています。これは戦時中に梵鐘を軍に供出したため、代わりとして陶器で作ったものだとか。果たしてつけるのでしょうか。

そして銀座通り商店街。商店街の中にも陶磁器を売るお店が何軒かありますし、飲食店もあります。

商店街から坂を上ったところにあるのが古民家の無風庵。瀬戸の陶芸の確立に大きな足跡を残した工芸家・藤井達吉ゆかりの草庵だそうです。もともとはこの地にあったものではなく、小原村(現在は豊田市)から茶室としてこの地に移築されたものだそうです。

無風庵の少し下にあるのが 古民家 久米邸。こちらは明治期の建物で、ギャラリーやカフェとして利用されているはずですが、コロナ禍のためか、営業している様子はありませんでした。

さて、瀬戸の見学はここまで。あとは陶磁器のお店を冷かしながら、尾張瀬戸駅へ戻ります。
この記事は以下のサイトをもとに作成しました。